世界コンピュータ将棋選手権の参加資格は、「思考部を自作し、かつそれにオリジナリティがあるものに限る。」となっています。通信や画面表示を行う部分などは、自作しなくても他の人のものを使わせてもらったり、複数の参加者が同じものを用いても構わないのですが、指し手を考え、決定する過程は必ず自ら作り上げていなければなりません。
仮にこのルールがなかったらどうなるでしょう。その場合、同じ思考過程をもつコンピュータ将棋が複数の名義で同時に参加しようとするかもしれません。極端な例として、実体がまったく同じ、あるいはごくわずかに変えただけのソフトでできているようなコピー参加者がコピーA、コピーB…コピーZとして参加するかもしれません。こうなってしまうと、たとえ実力の劣るソフトでも、その中のコピーFやコピーLは運よく予選を通過してしまったり、あるいはうっかり優勝してしまうかもしれません。このせいでもっと実力のある参加者の活躍の機会が奪われてはならないのは明らかです。したがってこの「オリジナリティ」ルールは実質的に、ひとりの開発者がひとつの参加チームでしか思考部分を開発することができない、という人員制限となっています。
通信や画面表示などの部分を複数の参加者で共用するだけなら、このようなコピースクラム問題は起きませんので、自作にこだわらず他の人が作ったものをどんどん活用し、できた余裕で思考部分の強化に集中していただきたいところです。今はほとんどのインターネットユーザが、多くのフリーソフトを便利に使いこなしている時代ですから、多くの人々が開発したソフトを相互に活用することの重要性はコンピュータ将棋開発者でなくても理解していただけると思います。近年は、ソフトが無料というだけでなく、ソフトの中身であるソースコードが公開されているオープンソースソフトウェアの存在感が高まり続けています。その代表格であるLinuxの名を聞いたことのない人はほとんどいないでしょう。ネットが普及した現在、自由に流通する大量のソフトによって、単に便利というだけでなく、高度な技術が世界の隅々に容易に行き渡るようになりました。
…と、ここで冒頭に書いたことを思い出すと、実は世界コンピュータ将棋選手権のルールは技術の普及を制限してしまっていることに気づきます。高い技術を備えたソフトが普及するのは良いことだが、それを思考部分にまで認めてしまうと競技が成立しない。つまり、オープンな技術とゲームのルールがジレンマを起こしてしまっているのです。
これを解決するアイデアとして、3年前の第15回選手権から、使用可能ライブラリのルールが新たに導入されました。ここに登録されているのは、思考部を含むコンピュータ将棋開発用のライブラリ、すなわち、開発の足がかりとなるプログラムです。これらは世界コンピュータ将棋選手権の参加者募集に先立って公募され、誰でも使えるものとして認められますので、技術が普及する上に競技上も公平です。これを利用するためにはオリジナルなプログラムを追加しなければならないので、単なるコピーで済ますことはできず、したがってコピースクラム問題も起こりません。ライブラリは事後申告で使用することも可能ですので、出場届出時には使わない予定だったがどうもうまくいかないのでやっぱり使う、ということも可能です。
もともとコンピュータ将棋開発者のほとんどは、 オープンソースが有名になるはるか以前から、オープンマインドの持ち主でした。世界コンピュータ将棋選手権をはじめとする交流の場や、書籍、Webサイトなどにおいて、各人が高い技術を隠すことなく広く公開してきたことが、コンピュータ将棋の急速な実力向上の原動力となりました。当ブログのトップページにあるコンピュータ将棋リンクに多数のリンクがあり、それらの多くが頻繁に更新されていることからも、コンピュータ将棋開発者の多くが同時に旺盛な表現者であることがよくおわかりになるでしょう。使用可能ライブラリにも、特に報酬があるわけでもないのにもかかわらず多くの貢献がありますね。もちろん、技術を公開し普及させることが学術的な業績に繋がるという面もあります。
コンピュータ将棋リンクだけで物足りなくなった方には、これまでに出版されたコンピュータ将棋の技術書一覧とリンクを紹介しておきますので、コンピュータ将棋開発者のオープンマインドを実感してください。
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