コンピュータ将棋開発者の勝負術

前回のエントリにて、GPW杯コンピュータ将棋大会2007リーグ表の勝敗が一部誤っておりましたので訂正いたしました。このときの将棋から最終第7局、大槻将棋vs棚瀬寧さん戦について今回触れておきます。といっても、前回ご紹介いたしました大槻さんの自戦記のコメントがすでに詳しく、コンピュータ将棋の技術的話題としても興味深いので、その補足という程度のものです。

人類代表の棚瀬さんは、いわずと知れた棚瀬将棋の開発者。有名なアマ強豪というわけではありませんが、大槻さんのコメントのとおり、コンピュータの弱点を知り尽くしている強敵。じっくり盛り上がる戦術でコンピュータがスキを見せるのを待ち、コンピュータの得意な激しい攻め合いを避ける…という指し方を大会中一貫して続け、コンピュータを苦しめました。しかし、GPW杯世界コンピュータ将棋選手権と同じ25分切れ負けという過酷な条件であるため完璧とはいかず、上位のコンピュータ将棋には苦杯を喫することになりました。人間にとって、LAN対局で行われているGPW杯は、指し手を決めたらすぐにパケットを送信するだけで一瞬にして指せるコンピュータに対して、操作ソフト上でマウスを動かさなければならない分持時間を消費せざるを得ない、という過酷なハンデ戦なのです。そのことに留意されたうえで、GPW杯での指し回しをご覧になれば、昨今の最先端のコンピュータ将棋に勝ちたい、と強く願っている方にとって参考になると思います。

本局でも、棚瀬さんは中盤でいったん大槻将棋を抑え込みますが、134手目の△8五歩で角を殺されたのが誤算。その直前の▲8二とに代えて▲9四銀などとして角を助けておけばかなり優勢だったでしょう。先手にとって怖いのは飛を先手陣に侵入されることであり、それに比べればと金を取られることはほとんど何でもありません。もっとも、これは徹底して相手の手を殺す、という方針に忠実な指し手で、角が死ななければ好手であったといえます。

深い傷を負った棚瀬さんでしたが、ここから戦術を大転換させてまっしぐらに入玉を目指す、という人間としての第二の強みを発揮します。9八に玉がいる段階で、もっとも勝利の可能性が高い指し方は入玉である、という判断を行い作戦を実行することは、現在のコンピュータ将棋には困難なのです。対する大槻将棋は、入玉を許した代償に大きな駒得を果たしたうえ、馬の利きを生かして184手目△8四龍、202手目△7三同龍など数少ない先手の駒をさらに減らしていきますが、棚瀬さんは見落としにもめげず、潜り込んだ敵陣に囲いを築きます。こうして、なぜか背後のギャラリーも棚瀬さんを応援している、と大槻さんが述懐する場面を迎えます。対局サーバを操作していた当ブログ主も棚瀬さんを応援していました。コンピュータ将棋関係者といえども感情移入する相手は人間なんですよ。ミニマックス評価値が最大になる指し手を淡々と選ぶコンピュータと違い、人間の戦いは精神力と集中力を消費するんです。そんな人間に声援を送れば、もっと力が湧いてくるかもしれないじゃないですか。それに、すでに優勝が決まっている大槻将棋が順当に勝つのも面白くありません。特に、自分ならこう指す、という視点で勝負を観戦していたら、まず人間の立場に立つでしょう?

そんなギャラリーの期待通り、200手を前に先手の残り時間が逆転して後手よりも長くなり、200手以降少しずつ差が広がっていきました。棚瀬さんは入玉作戦への転換だけでなく、慎重に時間を使って抑え込みをはかっていた序・中盤の戦術から時間責め戦術への大転換をも実行していたのです。相手の時間が切れれば勝ち、というもうひとつの重要な勝利条件が成立するように勝負の展開そのものを粘り合いに変えさせる、という芸当ができるのは、人間としての第三の強みです。大槻将棋も残り3分を切った後には4秒以内に指すモードに変化していましたが、相手が1秒で指せる局面に持ち込まれたら1秒の遅れが命取りになる、というところまではさすがに頭が、いやCPUが回りませんでした。先手玉に入玉されてからは相手玉に近寄るのも容易でない、という指し方になり、さりとて相入玉しての宣言勝ちも穴熊に囲っている大槻将棋にとってはもはや困難、という状況に陥りました。

コンピュータ将棋関係者のすべてが1秒以内に駒を動かせる直感モードを備える実力の持ち主であるわけではありませんが、これはアマ有段者程度の棋力があれば不可能ではありません。世界コンピュータ将棋選手権のルールでは、1手あたり1秒が必ず消費される代わりに、2秒以内で指せば1秒として計測されるので、相手の指し手が自玉に迫る手でさえなければ次の手はこれ、と後々の方針まで決めておけば、1秒程度の動作で駒を動かす余裕はそれなりにあります。とはいえこの状態で数十手以上指し続けるのには反射神経を要しますし、操作ミスをしたらおしまい、という緊張感も強いられます。また、こうした状況でどうしても見落としが出やすくなってしまうのは人間の弱みでもあります。実際、棚瀬さんが勝ちの目処をつけてからも王手馬取りを喫して思わず悲鳴があがるなど、壮絶な戦いが続きました。

ですから、自己の思考を絶対視せず、自らがミスをするリスクを考慮してリスクの少ない指し方を選ぶ、という 人間としての第四の強み棚瀬さんが発揮していれば、恐らく大槻将棋の全勝は阻まれたでしょう。ここから1秒で無意味な手を指され続けたら、おそらく負けていた、と大槻さんも認めています。むしろ棚瀬さんは、この戦術を遂行するには強すぎたのかもしれません。棚瀬さんも恐らくわかっていたと思われますが、ひたすらと金を右往左往する、あるいはジリ貧模様に玉を固める、という直感に反する指し手を選べず、つい後手玉を性急に攻めてしまう、という人間の弱みが出てしまいました。せめて寄せにいくなら、三段重ねの穴熊を築くなど、より安全を期するべきだったでしょう。最後は大槻将棋が圧倒的な戦力によって先手玉を即詰に討ち取りました。

というわけで結果にはつながらなかったものの、人智に迫るコンピュータ将棋の開発者の人智を垣間見せた大熱戦が誕生しました。いま一度、GPW杯の棋譜をご覧になって、指し手にかけるコンピュータ将棋開発者のさまざまな思いを汲み取っていただけることを願っております。

コンピュータと人間の将棋は未だかくも違うのです。ですから謎電さん人間というスペックは、コンピュータ将棋のCPUやフォーミュラ・ワンのコンストラクターよりも重要な情報であるがゆえに特記するんですよ(笑)。

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