森田和郎さん 1955-2012

第19回世界コンピュータ将棋選手権にて。写真左が森田和郎さん。
第19回世界コンピュータ将棋選手権にて。写真左が森田和郎さん。

月刊将棋世界2013年7月号、および週刊将棋2013年6月5日号(Twitter)にて、プログラマーの森田和郎さんの追悼記事が掲載されています。森田さんは昨年亡くなっておられましたが、事実は1年近く伏せられており、新聞各紙の訃報等も将棋世界週刊将棋を追う形となっています。

森田さんが開発し1985年に発売された森田和郎の将棋は発売当時、長期にわたって将棋ソフトの実力トップの座に君臨しました。その後森田将棋はファミリーコンピュータ・Windows等多数のプラットフォームに移植され、コンピュータ将棋ゲームソフトを一大ジャンルとして確立する役割を果たしました。技術の普及にも尽力され、コンピュータ将棋協会の設立にはメンバーとして加わりました。世界コンピュータ将棋選手権(当時はコンピュータ将棋選手権)では森田将棋第2回選手権に優勝しています。著書は、コンピュータ将棋―あなたも挑戦してみませんか (Information & Computing)、など。

森田さんの名声はコンピュータ将棋界にとどまるものではありません。森田和郎の将棋発売の3年前、個人向けコンピュータ(パソコン)の普及黎明期だった1982年に、エニックス(現スクウェア・エニックス)が開催した第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト森田のバトルフィールドを出品して最優秀プログラム賞を受賞。同じくコンテスト受賞者の中村光一さん(現(株)スパイク・チュンソフト代表取締役会長)らとともに出品作品を市販してベストセラーに育て、新時代の「名前で作品が売れる」スタープログラマーの先駆者となったのでした。

学生時代に(株)ランダムハウス(現(株)悠紀エンタープライズ)を設立し代表取締役社長に就任。森田オセロ・アルフォス・ミネルバトンサーガ・リグラス・サムライスピリッツ零…他多数のソフト開発のエピソードは、Togetterやインターネット検索等を利用して多数見ることができます。

一時代を築いたゲームプログラマーでしたが、森田和郎さんを一言で表すならやはり「森田将棋の森田さん」でした。世界コンピュータ将棋選手権には第1回〜第9回まで出場した後、冒頭の写真のようにその後も会場まで観戦に来ておられました。自身も将棋好きでアマチュア強豪、将棋の前にオセロを手がけたのもコンピュータ将棋の開発への準備という意味が強かったようです。飾らない人柄で、コンピュータ将棋協会例会やゲームプログラミングワークショップでも熱心に技術論を語っておられました。今年、コンピュータ将棋が初めて現役プロ棋士に対して勝利を収めた第2回電王戦を生前に見られなかったのは、残念というほかありません。

享年57歳の若さでした。心からお悔やみを申し上げます。

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